幸福否定の概念を新しい人と共有することが困難な理由について考えてみた

幸福否定理論

幸福否定理論カテゴリーを新しく作りました!

私も、この理論を知ってから「何を言っているのか?」その意味と価値を理解するまで6年かかりました。

これから記事を書くことで、更に理解を深め実践しつつ、読者の方になんとなく「そういう考え方もあるのか〜」くらいからジワジワなじんでいってもらえたら嬉しいと思っています。

幸福否定理論の全貌が惜しみなく公開されている笠原先生のWebサイトはこちらです。

心の研究室 Laboratory of Mind Studies

 

私が今「幸福否定とはなにか?」を端的に説明できる段階にないので、初回にとりあえず

幸福否定の概念を新しい人と共有することが困難な理由について少し考えてみました。

 


本人に、幸福や本望の実現を望む強い心、意志がなければ分からない

本当に心の底から幸せを渇望している人って多分数パーセントもいなくて、ほとんどの人が

  • 「まあ今より幸せになれたらそれはそれで嬉しいけど、そうじゃなくてもまあ仕方ないかな。現状も悪くない」

くらいのスタンスだったり、

不幸を消したいという意志はそれなりに強くあっても、幸せになりたいという意志が弱い。

 

世間で成功とされているようなことを達成したいとかでもなく、

純粋に本気で幸せになりたいという意志が固まっている人は意外なほど少ない。

幸福そのものや、自分の本望をどうしても成し遂げたいという強い欲求、意志がなければ、

現状の受け身の人間観で限界まで行き詰まらなければ、

わざわざ試行錯誤してこの理論を理解しようと思わない。

 

この「行き詰まり不足」で、ほとんどの人がふるい落とされてしまう。

ある程度の人生経験(単純な経験プラス、自分で考え感じて生きた経験)がないと分からない

人間が、自分の本望や真の幸福を避けている、隠蔽しているということについて

ある程度、自分や他者の心・出来事の関わり方をよくよく観察して、自分の頭で深く考えた人(それを感じ取れる感性のある人)でなければ、この点に気づくことがない。この理論が何について指摘しているのか、まず分からない。

他のあらゆる既存概念と相容れない、中途半端に自分の信念に組み入れることはできない

この理論を実践して人間観が転換すると、現在ある他のどの理論とも、ほとんど思想が相容れなくなる。

※その人間観とは:

ストレス理論やPTSD理論では,人間をストレスに弱い機械的存在と考えますが,幸福否定という考えかたでは,それとは逆に,人間を強靭な意志と高度の能力を併せ持つ自発的存在と考えざるをえなくなります。

引用元ページ:幸福否定とは何か(心の研究室)

 

この「幸福否定理論」を知らなくても、それぞれの方法で主体的な人間観を獲得して生きている人というのはいるが、だいたい言っていることをまるで理解されていないとか、曲解されている。

主体的な人間観の人が見たり感じたりする世界を、受け身な人間観の人の世界にあるもので再現・想像することは、不可能だから。

 

自分が、自分自身の力で受け身の人間観の地獄のような世界から抜け出すと決意して、実際に這い上がって覗いてみるまで、主体的な人間観の世界は理解することができない。

理解を進めていくには、自分自身の体感が必要

幸福否定の克服を進めていくと、なんとなく自分が体感する世界観の部分についてどんどん変化が起こってくる。

なんとなく否定的、不安に感じていた部分が、なんとなく肯定的、安心できるように感じられてくる。

体感の変化。

 

行動、理解と、その体感の変化の繰り返し。

それは”なんとなく”で、根拠がないもの。

その、根拠のないものをよりどころとして理解が進行していくという、そのことを許容できなければ理解できない。

すなわち、自分の理性が自分の感性の感覚を尊重している人ではなければ、理解できない。

これができる人がまた、理性偏重の世の中では少ない。

 


 

まとめると、幸福否定はおそらくすべての人に当てはまる理論ではあるのだけど

人間経験を修了する段階にあり、今それをする意志がある人にのみ感知され、人生を良くする効果を発揮できる理論であると言えるんじゃないかと思います。

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