今日は、最近すごく自分の進化を感じている、「感謝」についての話をします。
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私は子供のころ、
- 感謝
- 素直
- 謙虚
というものを、なんだか胡散臭く?信用できないように感じていました。
先生とか大人たちはそれをさかんに奨励するけど、
「なぜ感謝したり、素直でいたり、謙虚でいたりすることが良いのか?」
という理由の部分が、いまいち納得いくまで掴めなかったからです。
なので、何年間かそれらを一切やめてみるという実験をしました(笑)。
もちろん、みなさんにはすすめません!!
- 何を受け取っても当たり前。感謝の気持ちゼロ。
- 自分が違うと思うことは聞かない。偏屈。
- 自分の能力を鼻にかける。傲慢。
これらを実践した結果、
どんどん自分がしゅるしゅるとしぼんでいく感じがして、周りにも迷惑をかけるし、これは良くないなということが、身にしみてよく分かりました。
それで、「感謝・素直・謙虚を実行しないことは良くない」ということはよく分かったのですが、
「実行することが良い」という感覚まではいまいち掴めず、胡散臭さも感じたままでした。
それが、最近主体的な態度で生きるようになったことで、ものすごく明らかにこれらの意味が分かりました。
それは、私のギフテッドモデルに当てはめると
- 感謝→自分が中心から受け取ったリソースをフルに使えるように確認することであり(受け取ったプレゼントを開封するとか、棚卸しのイメージ)、主体的に自分自身を生きて全体と調和していれば、わけもなくどんどんあふれてくる感覚。
- 素直→中心から得るリソースやエネルギーを自分のフィルターで捻じ曲げることなく、純粋にフル解像度で受け取るために必要な態度。
- 謙虚→中心から流れてくるリソースやエネルギーを大量に受け取れるポジションにあり続けるために必要な態度。
ということです。
ゆえに、これらは、主体的に自分を生きるならば絶対不可欠かつ勝手に身についてくるものだし、中心とのつながりを断って奴隷的な態度で生きるならば、どれもまったく必要がないものだったのです。
私が胡散臭さを嗅ぎ取ったのは、奴隷的な態度で生きている人たちが、感謝・素直・謙虚の表面的な良さだけを切り取ってマネをしていて、中身がスカスカだったことを直感・嫌悪していたのでした。
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感謝については本当に、
- 朝に人に会ったら→おはようございます
- 夜に人に会ったら→こんばんは
- 人が自分の利益になることをしてくれたら→ありがとうございます
という、単純なあいさつだと思っていたので、こんなにも中身のあるものだということを初めて知って驚きました。
感謝の胡散臭さより本当の感謝のにおいを嗅ぎ取れるようになると、
主体的に生きている人は、存在そのものからあらゆるものに対する感謝があふれているということが分かるようになりました。
それは、人が本当に自分自身を全力で生きる時、あらゆるものを自分を応援する存在としてとらえることができるようになり、自然とありがとうという気持ちが湧いてくるからのようです。
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感謝が自分からわきはじめて間もない頃の朝、
ユニクロからLINEに広告メッセージが届いたのを見て、
「分かりやすく広告をレイアウトしてくれてありがとう」
という感謝の念が自分から出た時はすごく意外で笑えました。
広告ひとつとってみても、
奴隷世界では「いつもこちらの都合そっちのけでうるさく訴えかけてきて不快なもの」になるし、
自分が自分を生きる世界では「自分のしたいことをするのに忙しい中で、そちら側から私に必要な情報をグイっと届けてきてくれてありがとう」
ということになるんです。
おもしろいし素敵ですよね。
謙虚についてもいろいろ学んだことがあるので、また記事にしていきたいと思います。
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