このブログを読み、意味を分かってくれる人は、
多かれ少なかれ、「ギフテッドに関する才能があるギフテッド」ではないかと思うのです。
こうやって書いているけど、私もギフテッドのラベルを知ったばかりの10年前にこのブログを読んだら、まだ何を言っているのか分からなかったと確信できます。
ある程度、
ギフテッドの定義を知り、自分を知り、それらしき人を観察して、自分の頭で考えた人
でなければ、ここに書いてあること(特に核心的なこと)は意味不明だしつまらなくて読めないはずなんです。
それがギフテッドの人であってもです。
自分自身含めギフテッドという人たちに興味を持ち、飽きもせずずっと観察したり、研究するギフテッドは、ギフテッドの中でも一部の人たちなのではないでしょうか。
ギフテッドは人口の数パーセントくらいだから、数としては結構たくさんいると思うのですが
たとえば半分以上の人が結婚する今の日本でも「結婚そのもの」に強い関心を持って仕事にする人はごく一部であるように、
「ギフテッドそのもの」に関することを調べたり考えたり啓蒙するギフテッドはギフテッド全体のごく一部に自然となるんじゃないかと思うし、それでいいと思うのです。
それで、ギフテッドに関する才能のあるギフテッドが、ギフテッドのことを考えたり、発見したり、みんなに広めたりすることができれば、ギフテッドたちは助かり、もっと才能を発揮することができますよね?
そして、もっとギフテッドたちが才能を発揮するようになれば、社会全体に大きな利益がもたらされますよね。
だから、このブログに書いてあることを読んで意味を分かってくれる人、とてもありがたいですが、みなさんは、実は想像以上に大きな可能性、カギ(、責任…)を持っているのではないか?と思うのです。
ギフテッドに関する才能を持ったギフテッドが、それを使うことを躊躇していたら、世の中に出てこようと控えているギフテッドたち全体がなかなかうまく出てこられずに詰まってしまいませんか。
その損失は大きいですよね。
- 自分はまあ大したことないし
- みんなこれくらいのこと考えているだろう
- 「天才に関する才能」なんて、自分にあるわけない
って私も前は思っていたけど…
それ(自分が自分固有のセンスで考えたことについて、自分以外の人が感じる価値)って、自分じゃなくて他の人が決めることで。
私がギフテッドのMBTIタイプ傾向について書いた記事は、「1年で3票くらい投票してもらえたらいいな〜」と思って投票を作ったけど、ふたを開けてみたら約7ヶ月間で364人もの方が投票をしてくれました。
実際にやってみたら、想像の100倍を軽く超える反響があったんですね。
それだけ、ギフテッド情報を求める人はたくさんいるみたいだし、まだまだギフテッドに興味があって研究を個人的にでもしている人の発信する情報は価値があるみたいなのです。
私はこの経験から、
ギフテッド自体に関する才能がありそうだったギフテッドの人たちは、どしどし自分の才能を発揮し、考えを発展させ、発表されていくと他のギフテッドのためになって良いのではないかと思います。
あまり難しく考えることなく(それがいちばん難しいんだけど…)、
シンプルに、「役に立ちそうなものが自分のところにあったらとりあえず使ってみる」というのも、いいのではないでしょうか?
ギフテッドとしての階段を1段でものぼったことがあるなら、1段後ろにいる人に、伝えられることがあります。
心の苦しみを和らげたり、才能の芽が出て伸びることの助けができます。
発表はしなかったとしても、今は誰にも理解されなくても、
自分のところにある才能や思いつきはどうか大切にしてあげてください。
5月24日から水耕栽培を始めたアボカドの種の根っこが、どんどん生えてきています🥑
美しいです(✨∀✨)
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