私のルーツを思い出しました。理性の仕事の意味は、有るし無いということ

思うこと

いつものように理性を働かせているとき、

なんだか

こんなことやっていて、本当に意味があるのだろうか?

としつこくしつこく疑問に思ってしまうときってありませんか?

 

 

私は最近ブログを書いていてそれが出てきて仕方なかったので、意を決して思いっきり、「こんなことして意味はあるのか」と考え抜いたところ、

私のルーツになっているある思想を思い出しました。

 

 

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スピリチュアル・オカルト界では有名なチャネリング文書に、「日月神示」というものがあります。

太平洋戦争の頃に岡本天明という人が自動筆記したもので、戦争中は戦況を予言するので話題になったりしたそうです。

 

インターネットでも気軽に読めるもので、私は中学生のときにこの文書を初めて読んだのですが、ある部分で雷が落ちたような衝撃を受けたのですよ。

 

 

それは「日月神示」17巻の最初のほうにある

総てのものの本体は、無なるが故に永遠に存在する。

という言葉でした!

 

今こうやって切り取ってみるとなんともないのですが。。。

その時の自分にとって一番引力を感じる真実(と言い知れぬ恐怖)を見出していたのかな、という気がします。

 

 

前後を抜き出してみるとこんな感じの内容です:

われわれの一切は生れつつあ る。神も、宇宙も、森羅万象の悉くが、常に生れつつある。太陽は太陽として、太陰は太陰として、絶えず生れつづけている。一定不変の神もなければ、宇宙もない。常に弥栄えつつ、限りなく生れに生れゆく。過去もなければ、現在もなく、未来もない。只存在するものが生れに生れつつあ る。生もなければ死もない。善も思わず真も考えず美も思わない。只自分自身のみの行為はない。只生れゆき栄えゆくのみであ る。善を思い悪を思うのは、死をつくり生をつくり出すことである。故に地上人が自分自身でなすことには、総て永遠の生命なく、弥栄はあ り得ない。何故ならば、地上人は、地上人的善を思い、悪を思い、真を思い、偽を思うからであ る。思うことは行為することである。生前、生後、死後は一連の存在であ って、そこには存在以外の何ものもないのである。存在は生命であり、生れつつあ るもの、そのものである。何ものも、それ自らは存在しない。弥栄しない。必ず、その前なるものによって呼吸し、脈うち、生命し、存在し、弥栄する。また、総てのものの本体は、無なるが故に永遠に存在する。地上人は、生前に生き、生前に向って進みゆく。また、地上人は、地上に生き、地上に向って進みゆく。また、地上人は、死後に生き、死後に向って進みゆく。しかし、その総ては神の中での存在であ るから、それ自体のものはない。善でもなく、悪でもなく、只生れつつあ るのみ。

(全編はここから読めます)

 

最初に読んだときは抽象の極みの羅列で意味不明だったけど、今はすごくしっくりきます。

この、

無、空白、カオス、理解不能の原点

に立ち戻ることって、理性を使う存在にとって絶対に必要ではないかと思います。

 

 

私たちは「良くすること」にいつも全身全霊を傾けるけど、

もともとは良いも悪いもない、なーーーーんにも無い!

という、絶望的な事実!(笑)

私はこの絶望地点が好きです(^O^)ただ、なんとなく。

 

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話がちょっと変わるのですが、

 

さらにルーツをさかのぼり、私が小学生の頃

夏のプールの授業で、みんなが楽しみにしている遊びがありました。

 

それは、

プールにみんなが一列に並んで、先生の指示で右に行ったり左に行ったりすることでプールに波ができるので、それにみんなで乗って楽しむ。

という遊びでした。

みんなこの遊びが大好きだったので、先生はプールの授業でみんなが言うことを聞かずに騒いでいると、「波の遊びができなくなるよ!」と脅しに使っていたりしました(笑)

 

 

で、

このときに先生がしていた波を作るためのみんなへの指示が、私たちギフテッドの仕事に似ているなあと思うのですよ。

 

私たちが導く、プールのはじっこ同士(時代で尊重される側が入れ替わる物事の両極)それ自体に、どっちが絶対的に良いとか悪いとか、どっちに進むのがより進化しているかということはないし、波を作るのもただそれがみんな楽しい、嬉しいから。というだけの理由であり…

でもその時々ではある側へ進むことが、みんなにきっちりと伝えて迷わずに息を合わせて進んでもらうことが、波を作ってみんなで楽しむために絶対に必要不可欠なこと。

 

強烈に、理性の仕事の意味が無いし、有る感じを考えるとき、いつもこのシーンが浮かびます。

 

 

理性をきわめた人は、必ずどこかで、この自分が右に行かせたり左に行かせたりを考えてることの、意味のなさを嗅ぎ取るはずなんです。

 

そこで「意味はない」と考えて絶望したらおわりだし、

逆に「意味はある」と考えて暴走してもうまくいかない。

 

「意味は有るし、無い」

ココに立脚したときに、一番理性がよく働けるのだと思います!

 

 

 

無、空白、カオス、理解不能の原点

↑ここは頭では当然理解不能、”感じる”しかない場所ですが

なにもないがゆえにすべてがある、とっても楽しい場所ですよ!みんな遊びに来てくださいね!!(笑)

 

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