存在のねじれ理論(仮)

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今年の2月に閃いた💡頭の中にある情報を整理し、より効果的に進化をしていくための考え方を紹介します。

名付けて、存在のねじれ理論(仮)です。

今後少しずつ加筆修正していく予定です(・_・;


 

これまで、自分の中に浮かんでくる考えや気持ちなどの情報は、「頭(マインド・理性)」または「心(ハート・感性)」由来のものだと考えられてきましたよね。

 

存在のねじれ理論では、「頭」と「心」の分類をもうひとつ掘り下げて、4つに展開します。

  • まじりけのない感性である「純粋感性」
  • まじりけのない理性である「純粋理性」
  • 感性が持った思考である「感性の思考」
  • 理性が持った感情である「理性の感情」

の4つです。

後にある2つが、人間という存在が持つ「ねじれ」であり、進化に欠かせないエラーを生み出すものであると考えます。

 

☆それぞれの「頭」と「心」は、ひとつになって協調して働くことができます。

  • 純粋感性と純粋理性がひとつになると「超人間性」となり、「統合系」の働きをします。
  • 感性の思考と理性の感情がひとつになると「人間性」となり、「分離系」の働きをします。

 

それぞれの働きは、ブロック遊びに例えると分かりやすいです。

🔺タップ/クリックで拡大します。

 

  • これまでは、「純粋感性&理性の感情」「純粋理性&感性の思考」が一緒くたにされていたこと、本来は「従」である理性の感情が「主」となり、超人間性を封印していたことが問題でした(私も実際に体験するまで、「超人間性」のような素質が人間にあることを知りませんでした)。
  • 今、理性の働きと思われているものの多くが実際は「理性の感情」由来のもので、「超怖くて絶対的敗北である死を征服するため」に作られているので、本来の進化や喜びにたどり着けないようになっています。純粋理性が働くためには、死(「私」という「個」の意識の死)の征服を指向するのではなく、内包を指向する必要があります。
  • 超人間性の中にしかブロック遊びをしている自分の意図はないので、分離系内で事象のブロックをなんとなくくっつけたり剥がしたりしているだけで、満足はできません。理性の感情が不信・不安ベースで思いついた「できあがり」で純粋感性が満たされることはありません。

 

  • 分離系は、ブロックを剥がす作業も組み立てる作業も本質的ではなく、いつかはせっかく組み立てた作品を壊してまた次の作品を作ることになると知っているから宿命的な痛みがあります。
  • 組み立てても剥がしてもまたその作業がむだになると悲観的に捉えるか、何度も完成の感動を味わえると積極的に捉えるかがすべて。

 

  • 自分が今どの段階に根ざして存在しているか知ることが大切。分離系ベースで生きるのは苦しく本質的でない
  • 統合系が主で分離系が従。統合系として分離系を使って経験(事象のブロック遊びの作品)を増やし進化する。
  • 人間という存在自体が、何か大きな存在の分離系であり、人間もまた自分の中に分離系を持っています。
  • 感じることで、自分の好み、指向性を知る。理性を使ってその道をつくる。

 

  • 人間性を超えて超人間性を獲得するには、死を超える必要があります(図の「恐怖突入」のところ)。自分という個の死を受け入れること(それによって「私」の意識は消滅するわけではなくて、かえって大きくなります。細胞だった自分が、主の生物になるような感じ)。そのためには、「森田療法」や「幸福否定理論」の考えを取り入れるのが有効です。

 

 

最後まで読んでくれてありがとうm(._. )m

次回は、この理論が生まれる背景になった「幸福否定理論」を取り入れてからの私の体験について書きます!

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