植物に学ぶギフテッドネスの育て方

2019年5月から植物を育て始め、植物を育てることと、自他のギフテッドネスを育てることの共通点があると感じましたので、そのことについて書いているコーナーです。

植物に学ぶギフテッドネスの育て方🌿「マルチタレント・マルチポテンシャル」編(2019/10/9)

今年の夏に野菜を育てていたのですが、花が咲いた時(実がなる直前)に最初になった実を取ることで株が疲れず、その後の実のなりが良くなるから、最初になった実は早めに取ってしまうという選択もできるということを知りました。そして、「自分が大切に育てた植物が初めてならすことができた実を、自分の手で、大きくなる前に取ってしまうなんて!!」と、すごく驚きました。

植物を育てない方も、間引きという行為については聞いたことがあるかと思います。栄養が足りなくて全体が弱ってしまうことを避けるために、一部をなくしてしまう、殺してしまうということですよね。

この、一度は間引きによって一部を殺してしまうことで、のちのちより主体が繁栄するという感覚は、ギフテッドのマルチタレント・マルチポテンシャル特性への対処にも応用できると思いました。

私自身、もともといろいろと得意な分野があったので、「器用貧乏」という言葉はすごく自分にぴったりだなと思っていたものです。そしてやりたいことも多い中で、不本意ながらも時間やモノなどリソースの制限によって必然的に力を注ぐ対象が絞られていきましたが、時間が経つにつれてその中からいくつかのものが実を結び、そうしているうちに自分自身が成長して大きな木となって、自分が持っている色々な能力をみんな結びつけて活かせるようになりました。

ギフテッドには多分野の才能があり、まだ経験が浅いうちは、あれもやりたいこれもやりたいと、エネルギーがあちこちに散らかってどれも行き詰まってしまうことがあります。そこを、あえて1つとか2,3個に絞ってまずはやってみることで、そこで成長して自分自身が大きくなれば、そこからいくらでもどんどん文字通り「🌿繁栄🌿」していくことができます。

なので、可能性をあえて絞って、「何かを一通りモノにする」という経験をしてみること。10年ほど何かを続けて、ある程度のレベルに達してみること。

これを人生の序盤でやっておくと、その後の成長がすごく良くなるかと思います。

植物に学ぶギフテッドネスの育て方🌿「中身を伴う成長」編(2019/9/21)

私が植物を育て始めたばかりの時に、すごく順調に大きく育っていると思って安心していたものの、どこかよろよろしていて頼りなくて、すぐにでも折れてしまいそうになっていたので、何がいけないんだろうと思って検索してみたところ

どうも徒長なる現象が起こっていたらしいんです。

徒長というのは簡単に言えば、植物の実質的な成長が伴っていないのに見た目だけ大きくなってしまう現象のことです。

順調に大きくなっているものとばかり思っていた私は、「なんじゃそりゃあ」とすごくびっくりしました。「大きくなっているのに何がいけないの」と。

元気に大きくなれる条件が揃っていない時に、ただ成長を止めて小さいままでいるだけじゃなく、「ヒョロヒョロに大きくなる」という選択肢が植物にあるとは、思いもよりませんでした。

徒長する原因はいくつかあるのですが、徒長した植物は大きいものの見た目が軟弱でかっこ悪く、病気にも弱くなってしまっています。

しかしこの「実質的な成長が伴わないのに、外側だけ大きくなる」という現象は、私達ギフテッドの世界でもなんだか親しみのある現象だと思いませんか?

というのは、例えばすごく客観的に評価しやすい能力を持っているということは幸運なことだけど、その評価だけが一人歩きして自分自身の成長が追いついていないのに持ち上げられてそのままスポイルされてしまうという例はたくさんありますよね。

昔だと「天狗になる👺」みたいな言い方をしたんじゃないかと思うんですが、私にとってこの徒長という概念は、よりあまりネガティブな意味が入ってない純粋な仕組みを表す言葉として、一般的な考え方として浸透して欲しいと思うくらいです。

例えば誰かが何かちょっと有名な賞を取ったりメディアに取り上げられたりした時に、「最近、ちょっと持ち上げられていい気になって徒長してないか?」みたいな感じでお互いに気をつけあうことができたらいいなと思ったりします。

私はそのように植物を徒長させてしまって以来、一度徒長をさせてしまった部分はもう戻ることがないので徒長をさせないようにせっせと気を遣っています。

具体的な方法は以下のようなものです。

しっかり日光に当てること

本当に日照不足はてきめんでひょろひょろに植物が伸びてしまいます。植物にとって本当に光は大事なんだなと思います。

これを人に置き換えると、日光というのはやっぱり本質的な本物の知識や直感、愛とかなのかなと感じます。

常にそれらを受け入れていないと、人はだめになるという、シンプルな道理ですね。

水や肥料を与えすぎないこと、ときどきしっかり乾燥させる

水や肥料を与えすぎても植物は駄目になってしまう、ということはよく知られていると思うのですが、時々しっかり乾燥させるということが大事で、人でも常に自分が欲しいと思う前から要るものを与えられてしまうとか甘やかされるとスポイルされてダメになるというのはありますよね。

だから時には厳しくすることも愛であって、それによってその人自身がしっかりと内実を伴って成長するということが、当然あると思います

植物同士の間隔を詰めてみっしり置かない

植物同士の間隔を狭くしてみっしり植えたりしすぎると、光の奪い合いになってしまって皆が競い合ってヒョロヒョロに伸びてしまうんですね。これもすごく人に当てはまりますよね。

学校で狭いところにたくさんの子供を押し込んでみんなで競わせると、みんなが虚飾的な能力を身につけてしまうというか、良いことはないよなと今の教育について思わされるところがあります。

時々風に当てる、触れる

植物は風に当たることでエチレンという植物ホルモンが出てしっかりと内実を伴った成長を促してくれるそうです。植物を触ってあげることでも同じ効果があるとか。

人間でも時々違う環境に行ったりとか新しい刺激を受けることが、風に当たるに該当するかなと思います。適度なストレスがないとだれてしまうのは人も植物も同じなんですね。


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